無受胎告知の日
0、恐怖の始まり
その日に、その事を気付いた者は一人もいなかった。
時は既知明日。処は地球全土。その究極の恐怖は人類の全てに、密やかに、秘密のうちに蹂躪した。
そうだ、人間の生殖能力がその日から完全に無くなってしまったのだ。
子供が作れなくなってしまったのだ!!
恐怖・恐怖・恐怖… これ以上の恐怖がいったいあるだろうか!?
滅亡するのだ。人間という一つの種が、この宇宙から消えて無くなってしまうのだ。
自分の子を、子孫を、この地球上に未来永劫誰一人として残すことができなくなってしまったのだ。
遥かな過去より人間としての容姿を守り、生き通しだった遺伝子の死、完全な死だ!
その現象は神の技とも思える程に完璧に、そして全く何の兆候も無く、
一瞬にしてスイッチを切るようにあまりにも突然襲いかかった。
その日を人はやがて訪れる滅亡の悲しみを籠めて、『無受胎告知の日』と呼んだ…
1、恐怖を演じる人類
「おぎゃあああ…」
「ああ、やめてぇ! 私のぼうやを何処へ連れて行くの、私のぼうやを返しなさい!!」
超音波のような恐ろしい声で半狂乱の初老の女が嬰児奪回の為、
赤く長く鋭い爪と銀の牙で容赦のない凄まじい攻撃を若い女に繰り返していた。
若い女もまた鬼畜と化し応戦していた。しかしその子は老女のものではなかった。
そして老女の攻撃に血塗れで必死に嬰児を守っている女もまた、その子の母親ではない。
その嬰児はまだ臍帯も取れていなかった。
―同じ頃、世界各地で無邪気な産声が響いた。
それは無受胎告知の日の直前に身籠った微々たる数の女より産まれた地球最後の子供達だった。
子供達は母親の子宮に居た時より、
祖父母、親戚以外からも過保護という言葉以上の奇妙な扱いを受けることとなり、
そしてその親達は、サバンナの草食獣の如く常に警戒し、
怯えながら地球最後の子供を隠し育てなければならない運命にあった。
何故ならばその子供達を欲しくて欲しくて堪らない、
母性本能の塊と化した決してもう自分の子供を抱くことのできない、
哀れな多くの女達が奪い捕ろうと狙っていたからだ。
「ぐしゃ」
地方都市の高層ビルの入口に鈍い音がする。それも一回だけではない。
次次と、そして他の場所でも…
老人達もこの"真実"に絶望を感じずにはいられなかった。
常に自分の死の後を考えているような老人にとっては"無"程無慈悲なことはない。
神も仏も本当にあったものではなかった。その為この上ない絶望のあまり、
自ら残り少ない時を早める者が少なくなかったのだ。
知性ある者達は何とか自分の子孫を残そうと、ありとあらゆる妊娠方法を医学的、
科学的視点から必死になって努力追求していたが、全く無駄であった。
器官・組織レベル、細胞レベル、そして遺伝子レベルで診ても何一つ痕跡すら判らないのだ―
卵子、精子は変わらず正常であり、成人達の性交にも問題はないのだ。
微量な化学物質により生殖器官異常を起こす環境ホルモン、
そして生殖器に寄生する細菌や性染色体に潜入するウィルスが原因でもなかった…
測定不可能な超微量化学物質の性質、あるいは常識外の未知で異質な生きものや、
認知することすらできない宇宙線説も考えられるが、それは現代の科学ではどうすることもできない。
「プロフェッサー、このホモサピエンス系の進化の頂点、ニグロイドの美しい卵巣も、
機能そのものは正常ですが受精だけが何度試みても成功しません」
「ニグロイドなどどうでもよい、君はユダヤ人だろう、選ばれた民なのだろう、
なぜ君たちまで妊娠せんのだ」
「プロフェッサー、それは科学的ではない答です」
「くそう!」
ドイツからその施設に呼ばれた闇のドクターは、
その卵巣を実験容器から掴み出しそこに座って泣いている女に叩き返した。
―そう、終いには世界的に有名な遺伝学者を一処に集め、国々が莫大な資金を出し合い、
公然と遺伝子操作的人体実験をやるまでになっていたのだ。
朗報の無いまま日が流れるに従って人々は、
何の根拠もなく焦燥のあまり『無受胎告知の日』の原因を徐々に他人、
他国の責任にするようになっていった。
常に己の利益を重視する政治家達もそれを抜きにして恐怖を憎悪に変換し、
自国の、そして他国の医、科学研究所を疑いだした。
そして各国の表・裏の情報局が活発に動きだした。
疑心暗鬼が疑心暗鬼を呼び、国際的に被害妄想の虜になり、何時しか遂に… 地球生命層の全滅、
地獄を地上に具現する"最終核戦争"への途が、じわりじわりと色濃く確実に圧し迫って来た。
人々はそれぞれに己の究極の恐怖を実感し、実現し、熱演していた―
その絶望の状態の中で自戒者や宗教信者達は己達も恐怖しながらもこの非常事態を回避すべく
様々な活動をしていた。
しかし彼等は『無受胎告知の日』に対する見解に於て奇妙なことに、
あるいは当然のように自己の倫理思想、宗教、宗派を問わず共鳴し、
不思議な程に一様な統一理論を打ち出していた。それは…
それぞれに云い回しは違うが、総じて云えば『自然の裁き』の決行ということだった。
そしてその中の一人の男が今、強大な巨人に成るべく、発動を始めた…
2、巨星顕わる
今日も緒方賢治は、その猛虎の如く引き締まった精悍な巨体に、
理知的且つ恐ろしいまでの気迫のある狼顔を冠し、人間だけの街、腐敗都市新宿の聴衆に向かって、
覇気ある凄まじい波動を漲らせ、演説を始めた。
「作用に対する反作用だ!」
ゆっくりと、重いが、確信を持った話し方だ。卓越された厳しい自戒者の威厳が滲み出ている。
その辺の政治家や革命青年、他力・カリスマ教祖とは説得力に於ても雲泥の差がある。
「今、俺達人間は、巨いなる大自然から至極当然の報いを授けている。
人間は今まで地球を自分だけの物のように扱ってきた。自然を単なる"物"として考え、
自分の都合のいいように破壊し、腐食させてきたのだ。
優大な山林は全く無思慮に切り崩し、様々な美しい鳥や獣を、優しい草や木を、
そして究極の循環機能を有する虫達や微生物を滅殺してきた…
その大地には、地そのものを殺すアスファルトを厚く敷き、権力誇示のビルを聳え建たせた。
その大気には、地平線が見えぬ程に毒ガスを蒔き、万生の命の源である太陽を遮った。
その川や海には生態を奇形化し破壊するどす黒いヘドロ、
有害化学物質を蘇生不可能なまでに流し込んできた。
人間は今まで自然をあまりにも軽視し、自分達のちょっとした生き易さの為だけに、
決して偶然の産物ではない神の創られた神聖な神殿に悪魔の手を加え、愛し、生かし合い、
真に美しく調和されている連鎖システムを完膚なきまでに破壊し、
多くの掛替えのない尊い種を惨殺し、絶滅させてきたのだ!
跡形も無く絶滅させられたその種からすれば、人間こそがハルマゲドンを行使する恐怖の大王、
地獄の主サタンそのものであった筈だ。
今、その絶滅の恐怖がやっと人間に廻ってきた。何度も何度も警告は有った筈なのに…
これは取り返しのつかぬことを行い続けてきた人間への自然の意志の顕われだ。
ああ、感じる… 俺には彼等の魂の恐ろしいまでの悲痛が― 戦慄が―
そして激怒の波動が感じられる…
彼等の激怒は、人間の出す我欲の悪臭混じりの怒りではない。
彼等の激怒は純粋すぎるまでに美しい、生への、有るがままに生きることへの崇高なものだ。
それ故に俺は無限の悲しみを持って彼等の激怒を受け止める―」
新宿の聴衆は物音一つ立てずに、喰い入るように聴いていた。賢治の熱弁は彼等の核心を突き、
彼等の魂を揺さぶっていた。
賢治は爆発寸前の純粋な感情的意志表示をした後、
各市町村、環境、文化、林野庁のやってきた怠惰で陰険な自然保護、
様々な立場にある各国の人間中心的自然破壊の仕方にいて、事細かに、正確に、
客観的データを一つ一つ挙げながら、聴衆の脳に釘を捩じ込むように話していった。
そして最後に賢治は、心の最深部からの、聴衆にではなく己自身に云い聞かすようなことを、
何処にも視線を合わせずに、しかし叫ぶような大声で― その美しい狼顔を涙でぬらしながら語った。
「俺はやるぞ!
俺は今生きている地球最後の人間どもの誰よりも長生きして、
完全に地球を復興させてから死ぬのだ!!
自然よ― 生きもの達よ… 本当に済まないことをした。
我々が地球上から消えて無くなることや、自然復興をすることで、
今までの恐ろしい悪魔そのものの行為が許されるものではないことは充分判っている。
ただ、我々の最後の行為、真の人間の行為が終わるまで、生きさせてくれ…
決して我々の最後だからといって、無責任な戦争などは― ましてや地獄の核戦争などは、
絶対にやらせない。いや… やらない」
暫く重い沈黙が続いた後、沸き立つ大波のような拍手が起こった。
そして聴衆は口々に彼への弟子入りを懇願しだした。物凄い熱狂の渦であった。
この彼の壮絶な意志表明、魂からの懺悔は、人間の未来を完全に無視したものであったが、
あまりにも純粋な怒り、自然への無償の愛の返還宣言、真の反省、自戒であった為に、
聴衆はそれを授け容れた。
それは潜在的に誰もが意識していたことだった。
しかしそれはこのような暗黒の時代になったが故に、自分達に初めて真の災いが降り掛かったが故に、
人々はやっと光を求め真実を知ろうとしだし、顕在化したのだった。
嘗て無い究極の窮地に立たされた人類は納得のゆく理由を、真実を、是が非でも求め、英雄を、
厳格な父を切望し、それに遭遇すると恰も一つの生物のように頭部以外の部分を形成してゆくのだ。
勿論この問題に限らず、賢治に限らず、
邪悪でネガティブな面からでも根本からの人間の意識革命や全人類操作が、
不屈で頑強な意志さえあれば異常なまでに容易で簡単に可能な時代となっていた。
しかし賢治に対抗できるような強靭な者は、
賢治の我を捨てた人々の心の奥底にまで浸透する余りにも凄まじく強烈な波動の前には
現れることはできなかった。
しかも何時の時代にも恒例の幼児的で破壊主義のヒットラー紛いのナルシシスト指導者どもは、
今日の高度に発達したマスメディアに瞬時に発見され、
智に長けた大人達により消滅させられる運命にあった。
嘗て無い未来の無い事態の為か歴史は繰り返しを拒み、不思議な程に自己中心的、
人間中心的な波動は通じなくなっていた。
とにかく賢治は無受胎告知の日以前から自然の尊厳を説いていたが、
それが皮肉なことに自然の裁きが決行されて初めて上辺だけではない真の聴衆を、
そして真の同志を得ることができたのだった。
彼は骨肉を削っての自費出版の本、『我が闘気』。
それと『細胞性粘菌』と云う名の機関誌を無料で配りながら今までの細かい活動を紹介し、
急速に組織を拡大、強固なものにしていった。
そしてその中でも彼が真っ先に生きもの達のことを想い、真の祈りを籠めて手掛けたことは、
賢治自ら同志を一人一人選りすぐって結成させた、
『無償の愛』と称する自然保護警察の発動であった。
それは八百万の神の象徴である『卍(万字)』のエンブレムを掲げ、実質的には思想、
軍隊警察として発動した。それは徐々に、確実に、賢治自身が自負するまでの体制と、
絶対の権力を有するまでになっていった。
―そして無受胎告知の日から一年が過ぎた。
賢治の組織は彼の凄まじいまでの熱意、愛により、
早くも全世界に強大なネットワークを確立していた。
それは、彼には信じられない程絶大な目的達成能力があり、
今まで抑えられていた膨大な潜在能力がこの世紀末に触発され、物凄い勢いで爆発を始めた為だった。
彼の多岐で長年に渡る準備活動が大きく効を奏し、その実質的で緻密な指示は最高に威力があった。
彼の意を汲む者達は各国各地に散り、それを信仰のように実践していた。
特に自然保護警察『無償の愛』の活躍は目覚しく、生きもの達と、それを利用したり、
駆除して生きる現地住民とのどろどろとした様々な問題に対しても、
生きもの中心の最低限のガイドラインを呈示し、
各々の全智全霊をぶつけた賢治譲りの不屈の説得という方法で徹頭徹尾理解させ、授け容れさせ、
解決していった。
また、今まで動植物の様々な商品取引を醜悪に仕切っていた、国を含む巨大権力へ対しても、
『無償の愛』は敏速且つ的確な活動を繰り広げ、賢治の壮大なポリシーの元に、
静かで血を見ない素晴らしいクーデターを至る処で成功させていった。
個人レベルに於ても『無償の愛』の意識革命の鋭いメスは活き届いていた。
末世にかこつけて、えげつなくも動植物を悦楽の為だけの目的に豪華な食事に換えたり、
ちょっと気分を和らげる為だけに、最後の命の力を振り絞って咲いた花を束にするまで乱獲する、
リッチ、トレンディー、グルメとかいう気違い連中を厳しく取り締まった。
その陣頭指揮の忙殺の中でも賢治は、
動物の性交を見、出産を見、植物の繁殖を暖かく見守っていた。
そしてその眼には一点の曇りもなく、人間生存への邪念的執着も無かった。
賢治にとって生きもの達の生活、繁殖は何にも増して最優先の神理であったのだ。
活動は勢いに乗り順調ではあったが、しかし完全な目的意識を固め、
本当に緒方賢治の云うことを理解、自覚し、自分のものにまでするような者は、
まだ彼の前には現れてはいなかった。かなりの者も居たが、彼の周りには彼を絶対者とし、
地球生命の救世主と崇め、何でも賢治の云うことを聞く者が殆どだった。
だが浄化の方向に正しく向かっていることは確かだった…
その日の賢治の演説は、彼の造った広大且つ完全な保護区の一つで、
昼食の時間に突発的に行われることとなった。
「賢治先生、何時もそんな少量で大丈夫なんですか?」
と、側近の一人である若い女性、
佐藤由美が食器にスープを入れながら心配そうに巨漢の賢治を見上げて云った。
そのまなざしには賢治への尊敬と、そして― 疑惑も含まれていた。
そこに居た者達は、彼女の口調から感じるものがあり、聞き耳を立てた。
それに対する賢治の応対が、その日の演説のきっかけとなったのだ。
「ああ、全く大丈夫だ。君達と同量ではないか―」
賢治は彼女に対し、僅かに躊躇しながら応えた。
佐藤由美は新参者であり、しかもまだ十四歳であったが、
懐かしいような、不思議な異次元の雰囲気を漂わせ、
比類ない行動力と聡明な参謀気質を発揮しつつある人物だったのだ。
そればかりではない、彼女は小柄でも眩いばかりに白く端正な姿態に、
天使と云ってもおかしくない面貌を備え、賢治ですら直視できない程の、
あまりに美しく愛らしい瞳を持っていた。
賢治は彼女から眼を逸らし、いつもの"気"をなんとか取り戻しながら独特の手の振りを交え、
演説を始めた。
「皆も矛盾を感じていることは知っている。自然復興の為とはいえ、
それを行う為の動力源は動物や植物の血や肉だ。
この乳製品や蜂蜜といえども、彼等の尊い犠牲の下にここにある。
我々人間は様々な生きもの達の血や肉、分泌物は喰べても、
彼等に我々の血や肉を与えたことはない。
死んでからもそれは同じで、柩に入れたり焼いたりしてしまって、植物の為にも動物の為にも、
全く恩返しをせずにきた…
だが、これからは違うのだ! 授けた恩は必ず還すのだ。
今日これだけの生きものを喰べたらそれまでの付けを加え、その三倍も四倍も生きものを救え!
一瞬一秒を大切に、今日を精一杯生きもの達の為に働くのだ。
何をやるかは既に優秀な君達には判っている筈だ。
もはや組織固めの時代は終った。
今まで綿密に検討してきた大いなる計画に基づき、決行するのだ。
野生生物生存の為の土地の拡大。つまりこの時代に恐怖に戦き、
醜態を晒すことしかしない腑抜けた人間どもの街を潰し、
要所要所に万生の生命の源である木や草を植えるのだ。神の聖地を取り戻すのだ。
そして両面作戦として川や海の浄化作業だ。
川に通じている悪魔の血管、排水管の完全な撤去。
そして川や海の奥底にまで溜まっているヘドロの完璧な除去だ。
それから人間が無残なまでにペット奴隷とした、
人間無しには生きられなくなった奇形動植物に対し、外科的、リハビリ的な医療救済。
生きたまま耐えられぬ程の生態実験を行使され、
また遺伝子まで操作され機械部品の様な扱い受けている生体達の開放。
商品としての肉、野菜のみを収穫する為だけの、
生き甲斐のない狭く粗悪な食料製造工場で苦しむ家畜動植物の根本からの救済を行うのだ。
罪滅ぼしを行うのだ!!
君達地球最後の天の使いは、
人間を神の選んだたった一種族の祝福された者とする悪魔の考えは捨てねばならない。
選民という言葉すら汚らわしい。生きとし生けるものは全て完全に平等なのだ…」
賢治はいつものように自己陶酔してゆき、全身を使ったゼスチャーは、
巨漢を凌駕するまでの凄まじい激しさとなり、
自分の磁場に完全に聴衆を同調させ、捲き込んでいった。
もはや聴衆には、一点の疑惑も無くなっていた。演説は絶妙なリズムに乗り、
言葉と視覚のカーニバルの絶頂を極め、夕刻まで続いた。
だが、熱狂し足を踏鳴らす麻薬患者さながらの聴衆の中でただ一人、
佐藤由美だけは自分の核を守っており、その眩い天使の瞳を閃かし、
異世界からまだ届かない何か遠く巨きな波動を緒方賢治に送っているようであった。
3、ナルシシズムの狂気
冷めた、眼光の鋭い小男が、抑揚の全くない濁声で機械的に命じる。
「狙えー… 射て!」
あらゆる轟を通じて間断なく猛銃が叫び出す。
アフリカの広大な大地で、
嘗てない野生生物の末梢のみを目的とした壮絶なホロコーストが始まった。
間断なく、間断なく破壊の轟音が空気の有る処全てに伝わってゆく。
いかなるリズムも、いかなる切れ間もない。
黒い、甲虫類のような奇抜なデザインの軍服を纏った数百の男達が、手に手に強力な猟銃、
マシンガンを持ち、呪文にも似た死の奇声をオルガスムスの頂点に達しながら上げ、
手当たり次第に生きもの達をめった射ちにしている!
事実マシンガンを射ちながら射精してしまう男もいた。奴らの悦楽に笑う顔は悪魔そのものだった。
その耳を貫く激しい悪魔の轟音と叫びと笑いの中で、本物の悪魔が叫んでいた。
「死ね! 死ねーい! 一匹残らず死んで終うが善ぅーい」
実に地獄の底から響いてくるような恐ろしい濁声だった。
射撃命令を下した黒髪で鍵鼻の若い小男のものだった。しかし妙に神経質な小男の白色の顔は、
頑固な老人にしか見えない。
その悪魔の波動を本能的に察知し、絶体絶命の危機と感じ、草食獣も、肉食獣も、
断末魔の呻き声を上げ、この突然の修羅場を回避しようと必死にあらゆる方向へ逃げ惑った。
だが何処に逃げようと全く無駄であった。
計算し尽し、要所要所に巧妙な陣を敷いた殺戮のみに喜悦を感じる黒衣の男達は、
数台のジープを戦車とし、容赦無く、冷徹に、弱い者も強い者も無差別に踏み潰し、
容易に薙ぎ払った。
猛獣王ライオンも、史上最大の猛獣、恐怖の大魔王人間には、一点の闘志も見せられず、
後ろから掻き毟るように射たれて死んだ。
ガゼルも、シマウマも、キリンも… ただの一匹も逃げ伸びた者はいなかった。
俊足のチーターですら例外ではなく、弾丸のように爆走する重装甲のジープから多数の銃に狙われ、
見る間に散断され、無残にぶっ飛んでしまった。
湖にもカバやワニ、ピラニア目掛けて銃弾は、皮肉にも美しい虹ができる程に射ち込まれ、
そこは生臭い血の海となった。
そして空にも同時に銃弾は凄まじい勢いで炸裂した。
その為細切れになった小鳥やハゲワシの落下の前に、彼等の生温かい血の雨が降った。
それ程までに黒衣の男達は貫徹で、冷酷で、選び抜かれたプロフェッショナルだったのだ。
奴等は脳内麻薬物質β-エンドルフィンを限界にまで放出し、
それを元に全ての覚醒ホルモンを最大限にまで異常精製し、
それらを自ら支配し殺戮のみに喜悦を感じていた。
決して殺戮の仕方や動植物の死に方に喜悦を感じようとはしなかった。
その為無駄な遊びは無く絶対に獲物を逃すことはなかった。
「わぁーははははー血湧き肉踊るとはこのことだー。
死ねーい! 我ら優秀民族の為に消えて無くなるが善ぉーい!
我等神に選ばれた崇高な魂と、神に似せて作られた完全な美しい肉体と能力の下にひれ伏すが善い。
これが本当の弱肉強食の掟だ
これが本当の適者生存の掟だ
我等の役に立たずただ単に生きている愚鈍なものどもめ!
家畜にもなれず喰えても旨くないもの、鑑賞価値、
加工価値のない醜いものどもは蒸発するが如くすぐさま消えて無くなるが善い。
今まで人間の優越感の為だけに生きられてきたことを、
お前達の最大の慶びとして安心して滅びるが善い。
我等優秀民族の中よりもうじき我等の救世主が顕われになる。お前達はその生贄だ。
そして憎っくき敵、完滅させねばならぬ亜族、緒方賢治の誘き出しでもある。
我等の救世主、神の為― 我等の為に生贄となるのだ。
お前達は生きている限り我等の卑しい奴隷であり、神への捧げ物なのだ。
我等は永遠に生きる!! お前達の屍の血を吸い、肉を喰らって永遠になぁー」
濁声の小男は凄まじい悪魔の波動を沸騰させ、叫び捲った。
辺りに動くものが居なくなるまで叫び続けた。
狂銃が起こした嵐のような砂塵が視界を取り戻したときには、一面に動物達の悲しい、
哀れな屍が築かれていた。臓腑を撒き散らし、子供や胎児も引き裂かれ、散在していた。
凄まじい、あまりにも凄まじ過ぎる地獄を構築していた。
たった数十分の出来事だったが、広範囲に渡って何万という草食獣が、肉食獣が、鳥類が…
惨殺された。木や草も無残に蹴散らされ、形を成していなかった。
その大地からは、かげろうのように恐ろしい瘴気が立ち込め、真の地獄を現象化していた。
嘗て人間に最後の一頭まで喰われ、滅ぼされたマンモスや多くの古獣達の時よりも、
文明フロンティア時代の土地の強奪や計画的生物駆除の時よりも、
遥かに無意味で遥かに陰惨な殺戮だった。
その日は、生きもの達の救いの日、『無受胎告知の日』以来初めての、
最大の悲しむべき日となった。
4、ザミャーチン
それは― 今や覇者とならんとする緒方賢治に唯一盾突く、
最後の人間復興グループ『パピアス』の、追い詰められた末の卑劣で狂暴な最終的報復だった。
賢治の自然保護警察『無償の愛』アフリカ支部は、この悲劇の前に半数を殺され、
残りの半数を捕虜にされ、壊滅していた。
アフリカ支部は『無償の愛』の中でも強固で最大規模の支部だったが、
賢治の教えの下に説得を最大の武器としていた為に、
有効な戦争の為の武器を皆無と云ってよい程持っていなかった。
しかも奴等『パピアス』は、このビジュアルと道義的情報が発達した時代においても、
いかなる説得も通じぬ確固たる統一された全体意識と強い信念を持っている、
難敵中の難敵集団であった。
奴等の母体の民族は、地球最古の文明から続く悠久の歴史を背景とした壮絶な選民意識と、
過酷な枯地放浪、奴隷生活から生まれた強い救世主願望と一神教を持ち、
その神から授かったという戒律を第一に重んじる特殊な民だった。
奴等は土地を持たない浮遊の民だったが、全世界に散っても頑なに血を守り、
一民族一言語と信仰を何千年にも渡り保っていた。
その特殊な民族の純血の強行派が全世界から集い『パピアス』を形成していた為、
並の対処では何もできず、『無償の愛』アフリカ支部は完敗したのだった。
「見たか無償の愛のバカ者どもよ! さあガンジー気取りの裸の王、偽善者緒方賢治を呼ぶが善い!
呼んでこの素晴らしい神への生贄を拝ませて進ぜよう。
そして最後に神に祝福が成される我が一族の足下に跪かせてやろう」
濁声の小男の後方には、『無償の愛』アフリカ支部の生き残りが、傷を負い、
砂の舞う地に仰向けに大の字に寝かされ、銃に監視されていた。濁声は不気味な微笑を称え、
山脈のような数人の頑丈な大男達を従え、帝人的威圧と共にそこへやって来た。
大男達により、その中では大した傷を負っていないのに大袈裟に苦痛を顔に出している、
ガマガエルのような容姿の太ったアフリカ支部長、アンドロポフ・ザミャーチンが立たされ、
濁声の前に突き出された。荒荒しく息をする音はさながら温室で育ったブタの鳴き声に似ている。
指の先までどん詰まった肉は、暑苦しさを感じさせ、気持ちの悪い湿気も帯びていた。
だがその眼には賢治の不屈の闘志が乗り移り、ぎらぎら輝いていた。
「賢治先生は貴様等に屈服など決してなさらないぞ! 奇跡を起こされるのだ。
人間の滅ぼした全ての種を復活させられ、神の国に導き、真の愛を説かれるのだ。
賢治先生はメシアで在らせられるのだ。全ての者を愛し、全ての者を救って下さるのだ。
我々人類の罪を一人で背負われ、真の世界を、ユートピアをこの地上に具現なさるのだ!
こんなことをして― こんなことをしてただ済むと思うなよ」
ザミャーチンは見掛けによらずインテリで口達者な行動派であり、
賢治への忠誠心は彼が前に拘っていた宗教と相互し、
信仰と化していた為にいささか口喧嘩に於ては難敵であった。
「ふん、何時から緒方の組織は宗教となったのだ? 緒方はメシアではない。
救世主は我が一族から我等の為だけに産まれると遠い昔より、神から約束されておる。
その我等の王が、世界の不滅王となり、永遠に生き、統治されるのだ。お前達亜族は滅び、
永遠に復活することなど有り得ぬわ」
「何を云うか、メシア賢治先生は地球の全ての邪悪な民族、
"人間"の滅亡を見届けてから神の子として最後に天に換られる御方なのだ。
賢治先生は何の執着も持っておられない。地位も名誉も肉体的欲望も、
そして死すらも超越なさっておられる。
直おいでなさる。死を超越なさった先生の本当の御力をおもい知るがいい。
貴様等の暴力などには恐れもなさない!」
「それはどうかな? 肉有る者全て痛みを感じ、祝福されていない者は全て滅ぶのだ」
濁声はザミャーチンの途方もなく大きな尻を、おもいっきり先の尖った靴で蹴り上げた。
「ぎぇーいてぇー 何をしやがるんだ! やめろぉ、やめてくれぇ ぎぇーぎぇー」
それは濁声も呆れるほどの惨めで哀れで大袈裟な大声だった。
「みっともない奴め。それだけ脂肪が詰まっていながら痛みを感じるのか? わはははこいつはいい、
こいつ涙を流しておるわ」
「ちくしょう! ちくしょーうこんなことで挫けたりはしないぞ、死んでも貴様等を許さないぞ、
ちくしょうちくしょうめ」
のたうち、もがきながらザミャーチンは、自分では格好いいと思いながら唾を吐き、啖呵を切った。
「大袈裟な奴め、うるさくてかなわぬわ。まあ善い。お前のような雑魚、蹴り殺すのも汚れるわ。
だがその痛みの千倍もの痛みをお前達の眼前でお前達の尊敬する緒方賢治に味わわせ、
這いつくばらせ、命乞いをさせてくれるわ。必ずなぁ」
濁声は薄気味悪い眼を赤く光らせ、屍の方へ戻って行った。
「ザミャーチン!」
「えっ? あっ君は… !」
小男の去ったその場所に一人の痩身の若い女が何時の間にか他のアフリカ支部員と同じように
大の字に寝ていた。
「その胸の卍(万字)エンブレムは本部のユミ・サトーの…」
「そう、賢治先生の身の回りを御世話しているユミグループの一人、シャーリー・フランケルだ。
このざまはなんだザミャーチン!」
「乱暴な口を利く… 今までの敵とは違うのだ、あまりにも得意な気違い集団なのだ。
見てくれ私の尻を」
いきなりザミャーチンは赤ちゃんスタイルになり、赤く腫れた尻を捲って見せた。
「バカ! 気違いはどっちだ、汚いものを見せるな! 判っている移動しながら見ていたよ、
まあ、お前が蹴られる見せ場が有ったから今お前と話ができるのだがね。全く不器用なやつだ、
それでもお前はアフリカ支部長か?
私はお前が本部に送ってくる細部行動報告やお前自身の政策や論文を担当していて
何時も感心していたんだか、百聞は一見に如かずとはこのことだ。会うのを楽しみにしていたが…
まったくとんだ時に来てしまった」
「… 賢治先生へのご連絡は?」
「私がアフリカに入る前にパピアスの動向を察知し、賢治先生へ御連絡申し上げた。
もう近くまで来られている筈だ。お前の故郷のロシア周りで、
途中インド支部の同志と合流して来られる」
「えっそれでは」
「そうだ旧ソビエトを駆逐した時に没収した最新科学兵器を身に着けて来られる筈だ」
「そういう云い方はないだろう。ロシア政府は賢治先生の熱い想いに感動し、協力を申し入れたのだ。
勿論我々市民、党員が強く要望してからだけどね」
「仕方無しにというところさ、旧ソビエトは何時裏切ってくれるか判らない」
「なんだって!」
「うるさいぞ喋るな!!」
近くの警備の男が堪り兼ねてやってきた。
「捕虜なら捕虜らしくしていろ!」
警備の男は猟銃をザミャーチンの尻に突き付け怒鳴った
「うぎゃぁあ、判った止めてくれ、そこは止めてくれ」
ザミャーチンはめいっぱい大袈裟に身悶え、のたうち回り、
苦痛をその大きな顔に必要以上に表現していた。
「バカかお前は?」
あまりのザミャーチンの反応にその警備の男はびっくりし、戸惑い、
横目で見やりながら元の位置に戻って行った。
「バカ!」
シャーリーも呆れ返って軽蔑の流し目を送った。
「まあ、得な性格かも知れないね、
警備の男どもはお前をアフリカ支部長と知りながらもその汚い容貌と腐ったような匂いと
特異な反応の御蔭で距離を置いて監視している。私だってお前の側に居るのは辛い」
「なんだとぉ私の何処が汚いのだ! 私は毎日聖水で行水をしている。匂いだって全くない、
ちゃんと嗅いでみろ!」
ザミャーチンは痛みを忘れ、今度はブタの如く、一変して怒りだした。
しかし警備の男達はまたかという感じで知らん顔をしている。
「バカ! やめろザミャーチン、私は誉めているのだ。
私は賢治先生へ御連絡した時、
最重要ポイントを任されているお前へのパピアスに対抗する指示を請けた」
シャーリーはザミャーチンが近付く分だけじりじり逃げながら、
気持ち悪がりながらも子供を諭すようにめいっぱい優しく云った。
「えっなになにそうか悪かった。話してくれ」
誉められ好きだったザミャーチンは、
今度は寝ながら微生物の蠕動運動のような奇妙な小躍りをしている。
再び極端に変じたザミャーチンの瓢軽な態度に耐えきれず、シャーリーはくすくす笑いだした。
「なにを笑っているのだよ、早く話したたまえ」
「真面目に聞けよザミャーチン…」
5、ジェノサイド
「うおぉぉぉぉぉー」
今、そこにはまだ肉体はなかったが、確かに賢治の凄まじき怒りと悲しみの雄叫びが、
全ての意識ある者達の魂の奥底にまで聞こえ届いた。
そしてその純真な王の魂に、全ての意識は震撼した。
それは同士を奮い立たせ、敵を怯ませるのに充分な凄まじい波動であった。
ザミャーチン達は旧ソビエトの開発した強壮で軽い、
小爆弾にも耐えうるアルマジロスーツを着た無償の愛・インド支部の先鋭同志に
巧妙に助けられていった。先鋭インド支部の同志は少しずつ砂埃を人工的に巻き起こし、
場を見極めアフリカ支部の者達に擦り変わっていき、そして緒方賢治のため、
生きものたちのために全身全霊をもって襲いかかり、邪悪な人間保護集団パピアスを殲滅していった。
そして…
「くぅぅ… 何だ… 凄まじいまでの"気"を感じる。うう… 俺様としたことが、
恐ろしいまでのプレッシャーだわ」
濁声の小男は、銀河の中心、ブラックホールの溜まり場さながらの壮絶な圧倒する重力を感じ、
その場にしゃがみ込み、暫くじっとしていた。
「来たのか… な・に・たった一人で来たのか」
濁声が頭を上げたそこには既に怒りの大魔人と化した巨漢緒方賢治の現象体があった。
物凄まじい究極の怒りのオーラを纏い聳え立って居た。
周りには数人のあの黒衣の大男達が恐怖を感じたままの凄まじい形相で絶命していた。
「何時の間に… うぁぁ」
濁声は自分より遥かに強大な… 巨きな… 桁違いで次元そのものが異なる、
決して触れてはならなかった真の恐怖の大魔王に会っていることを… 自覚した。
「魂まで殺される…」
死を覚悟せざるをえなかった。強力なマシンガンを持っていながら、この丸腰の巨漢の前には…
その爆裂し圧倒する"気"の前には… 壮大なオーラの前には…
あっけない終焉であった。
―斯くして全ての人類から人間中心思想はジェノサイドされた。
6、キーワードは48
「万物の霊長は必要なのです」
美しき"老婆"佐藤由美は透き通る天声と共にそこに降臨した。
末法の世が過ぎ、
現象界地球はさながら実在界の神界のような素晴らしいユートピアを具現していた。
地球最後の子供達も生きている者は百歳を越えようとしていた。
佐藤由美の周りには地球最後の人間達が全て集っていた。
その日は緒方賢治が実在界に召された幾度目かの祈念日であった。
「万物の霊長は必要なのです。私達はその器ではありませんでした。
私達の消滅と共に新しい真の万物の霊長が顕われます」
地球最後の聴衆はその言葉に驚き、ざわめいた。
佐藤由美は緒方賢治とは異なることを話しているのだ!!
「主よ、お出まし下さい」
そこに人間らしき子供がふっと顕われた。
百歳も生きてきた聴衆は驚きのあまり唸りの轟音合唱をした。
白く艶の有るピチピチした肌は紛れも無く幼い子供のものだった。
だが、その顔は嘗ての人間には無い神々しさがあった。この子供は…!?
「この御子は人間ではありません。人間の言葉も話しません」
緒方賢治が復活させたユートピアで人生の大半を生きてきた聴衆は、理解の限界を超え、
悲鳴にも似た唸りの轟音合唱を荒海のように繰り返している。
「この御子は私が森で発見し、お育てしました。一人ではありません。
私達人間は46本の染色体を持つ霊長類の中の類人猿、
人似猿と呼ばれるものよりネオテニーとして短期間の内に誕生しました。
我々のオリジンは強暴な本能を持つ未熟な人似猿でした。
この御子は48本の余裕有る優れた染色体、遺伝子を持っています。
つまり我々とは違う人似猿よりネオテニーした我々とは異なる人間なのです」
ネオテニー― 幼形成熟進化することにより、類人猿の場合は体毛が少なくなり、
背骨がS字のような弓型に伸び、骨盤が碗型化し、後肢が長く伸び、
そして頚骨が頭骨の中心より生え大脳を大きく発達させることができるのだ。
類人猿の幼児或いは胎児の姿態は人間の成体に酷似している。その姿態のまま成熟し、
生殖能力を身につけた者が我々人間だったのだ。その為成体の姿態には多くの差異が認められるが、
オリジンとなった人似猿とは未だに99パーセント近くもの遺伝子が共通なのだ。
ネオテニーは霊長類、哺乳類だけではなく、サンショウウオの幼形進化であるアホロートル、
俗に云うウーパールーパーなど、多くの種で誕生している。
それは宇宙より周期的に飛来する様々な彗星が運んでくる膨大な種類と数のウィルスに起因している。
彗星は地球に生命そのものを齎した源でもあり、
また、常に生命の真の絶滅と進化を支配し続けてきた存在でもある。
この奇跡的なネオテニー発現進化促進パラサイドウィルスも彗星に起因している。
そのウィルスの感染により、病気或いは突然変異としてそれは誕生する。
そしてそれは普通の獲得形質的進化ではないために数世代の速さで定着する。
その速さのためネオテニーした生きものとそのオリジンとは、
遺伝子は殆ど差異がないのに形態姿態から見たミッシング・リンクが繋がらないのだ。
新オリジン専用ネオテニーウィルスも、
その彗星内部で暖かく擁護され育まれてきた壮大な宇宙の意志の顕われであり、
奇跡的な鍵の一つであった。
なぜなら地球の生きものに感染するウィルスの殆どは、
発現せずに次の機会を待つ要素遺伝子や重複遺伝子になってしまうからだ。
人間でも全遺伝子ゲノムの95パーセント以上が眠ったままになってしまっている。
しかし、それら全ては実際には無駄ではなく、発現中の遺伝子を影で支えているのだ。
宇宙の意志…
そうだ、宇宙の意志により、時が来たのだ。
旧人類の教訓的役割は終劇する― 宇宙の意志の擁護者、母である佐藤由美によって…
「この御子のオリジンは、遺伝子として成熟するまでこの大きな優しい霊長類でした。
我々の元となった霊長類にはない、この段階でありながら素晴らしい心を持っています」
今度は賢治の生まれ変わりのようながっしりした体と優しい眼をした、
その生きものを聴衆の前に顕わした。そしてその隣には我々旧人類の元となった生きものもおり、
その穏やかな新オリジンの大きさに恐れながらもキーキー言いながら爪で攻撃していた。
―その後景を見て聴衆は悟った…
緒方賢治の創ったユートピアは確かに有るがままの自然であった。だが弱肉強食の世界でもあり、
生きもの達の中には小人間を演じている者さえいた。ちょっとした導きがあるだけでよいのだ。
暖かく優しい導きが… 物質文明や科学があっても良いのだ。
真の無償の愛アガペーを内に持つ"神人類"の子は、
穏やかで膨大なオーラを表出しながら神々しく微笑んでいた。